それは蓮根チップと蓮根梅マヨなどを経て生まれた
蓮根が安かった時に買ってつくる常備菜・蓮根チップ。スライスした蓮根のあと半分は、マヨネーズと合わせてサラダ風の一品にする。初めは甘めの 梅肉 と合わせ、次は 和辛子 と合わせた。旨そー!
上段左が辛子マヨ、下段右が梅マヨと思われる。
マスタードの可能性と旨さを知ってしまった!
その日は和辛子を切らしていた。わずかに残っていたマスタードを使って見ると、味見で震撼。最適な組み合わせに驚いたのだった。
右、クリーミー系のおから と合わせて。
奥州藤原氏のルーツ | " 蓮 " つながりで平泉の極楽浄土郷から起草
そういえば 以前、蓮根と奥州藤原氏 について少し触れたが、奥州藤原氏のルーツは、宮城県亘理町にもある。平安時代、亘理にあった 三十三間堂官衙( さんじゅうさんげんどうかんが ) に初代・清衡の父が赴任していたからだ。
官衙に赴任した 初代・藤原清衡の父 | 藤原経清
官衙とは、郡の役所のこと。宮城では 多賀城 を国府として、亘理の三十三間堂官衙、吉岡東官衙( 宮城・大和町 )、東山官衙( 宮城・加美町 )、赤井官衙( 東松島町 )などの官衙があった。 *1 地域をざっと見ると分かるが、大いなる米どころだ。官衙には、税となる米などを( 田租 *2 ) 蓄える倉もあったことが分かっている。
これは、吉岡東官衙。高床式の倉庫が図にもある。
東北と朝廷の争いに翻弄された藤原清衡の父 | 藤原経清
奥州藤原氏・初代・清衡の父、藤原経清( ふじわらつねきよ )は、妻を安倍氏( 岩手内陸中央から県南に勢力を持つ豪族 )から迎えていた。朝廷が安倍氏を攻めた 前九年の役 で安倍氏は滅び、安倍の娘婿・藤原経清も処刑 *3 されることとなった。
藤原経清の妻は 清衡 *4 を連れて、敵対勢力の清原氏( 秋田内陸中部に勢力を持つ豪族 )へ嫁ぐ。安倍氏の孫・清衡は、前九年の役で朝廷に加担した清原氏の下で、どのような暮らしを送っていたのだろう。それれからどう力をつけていったのだろうか。母子の強い意志が伝わってくる。
・ 吉岡官衙を文中に取り上げた記事
阿弖流爲 vs 坂上田村麻呂 の 歴史から、学べていれば
阿弖流為( アテルイ )は、陸奥胆沢国( 現在の岩手県奥州市 )の族長と言われる。朝廷の蝦夷( エミシ )討伐・併合に対して一度は抵抗、5万人の朝廷軍を敗走させ圧勝した人物、岩手の英雄。 しかし790年、征夷大将軍 に 坂上田村麻呂 が任命されると様相は一変、劣勢となり田村麻呂が造営した胆沢城にて 802年に投降、完敗となった。京都に送られた阿弖流為と副将モレ( 母禮 )への罰を穏便にと田村麻呂は政府に懇願するも、あえなく斬首刑となる。
坂上田村麻呂 と言えば、東北各地に数々の 英雄伝説 が残っている人物。彼と戦った阿弖流為の敗北は、当時の東北・岩手にとってかなりの衝撃だったに違いない。前九年の役・後三年の役 もそれを凌駕する史実ではあるが、安倍氏が阿弖流為の一件から何も学ばなかったのか...。朝廷に勝てる自信に満ち溢れるほどの勢力を誇っていたとすれば、当時7歳の清衡少年がのちに再興しようと奮闘するのも、分からなくもないか。
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